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アメリカと日本の開拓民と無垢フローリング

2022-06-09

開拓民とは、森を切り人が暮らせる土地を開く人たちのとことを指します。

その生活は今よりも「木」と密接に関わっていたので、今回のブログではそのんな開拓民と無垢フローリングのつながりについてご紹介したいと思います。

 

アメリカ西部開拓と無垢フローリング

「床は幅の広い、ぶあつい板で張ってあり、おじいちゃんが自分で丸太をけずってつくったのだ。床はどこもかしこもすべすべしていて、きれいにみがきこまれ、まっ白だった

– 『大きな森の小さな家』(中村凪子訳、角川文庫)

「ある日、床ができあがった。すべすべとなめらかで、しっかりと固くて、びくともしない床だった。堅いオーク樫のこの床なら、永久にだってもつぞ、と父さんは言った。」

–  『大草原の小さな家』(中村凪子訳、角川文庫)

どちらも、アメリカの西部開拓時代に生涯を送ったローラ・インガルス・ワイルダー(1867-1953)の自伝的小説「小さな家(Little House Books)」シリーズの中に出てくる無垢フローリングの描写です。

「大草原の小さな家」は、後年にドラマ化され、NHKでも放送されたのでご存じの方も多い、この物語をもとに、19世紀から20世紀初頭にかけての、開拓者と無垢フローリングとの関わりを少し紐解いていきましょう。

アメリカの西武開拓民とは

17世紀イギリスのメイフラワー号が初めて北アメリカ大陸の東海岸に上陸しました。そして、多くの人が宗教的、経済的な理由でアメリカに移住し、彼らは豊かな土地と成功を求めて開拓をしながら西へ西へと移動していきます。

開拓は独立戦争、ゴールドラッシュ、南北戦争を経ながら1890年のフロンティア消滅まで続きました。

西部開拓民の家と家族

「大草原の小さな家」の主人公のローラのおじいちゃんも、父さんも自分の土地を求める開拓民だったので、家族のために森から木を伐り出し、家を建てました。

「すべすべとしていてまっすぐな板」「機械で製材した材木」といった店売りの板はぜいたく品でした。自分達で丸太を割って造った家はどっしりとしていて、大吹雪や野生の熊、おおかみといった自然の脅威から家族を守ってくれました。

ローラも子どもながらに、父さんと母さんを手伝って、皿洗い、畑の世話、薪を運んだり、牛の乳しぼりをしたりと懸命に働きました。家族で力を合わせて働いたあとに、暖炉の前で父さんのバイオリンと歌に耳をかたむけるのは、なによりも楽しいときだったそうです。

開拓民と無垢フローリング

ローラのおじいちゃんはウィスコンシン州に腰を落ち着けますが、その息子のチャールズは、妻とローラたちを連れて、カンザス州、ミネソタ州、サウス・ダコタ州と困難な旅を続け、行く先々で父さんは家を建てました。

ローラが18歳のとき、夫となるアルマンゾも小さいけれど心づかいのこもった家を建て、彼女を花嫁にむかえました。物語のタイトルにもなっている「小さな家」は家族の絆の象徴だったのです。

「小さな家」のローラと無垢フローリング

「大きな森の小さな家」に、春になって母さんに「裸足でかけていいでしょう?」とせがむシーンがあります。

「小さな家」シリーズは、彼女が60歳をすぎてから書かれましたが、ローラは幼いころに足の裏に感じた無垢フローリングの肌触りを生涯忘れることはなく、物語に書き記しました。

アメリカ西部開拓と北海道開拓

ローラが生まれた1867年に日本では大政奉還がなされ、薩摩藩出身の黒田清隆が、明治新政府に北海道の開拓使次官に任命されました。

黒田が開拓の手本にしたのはアメリカの「フロンティア精神」です。

フロンティア精神とは独立独歩、他人の助力は当てにしないけれど、隣人の苦難は命がけで助けるといったものでした。黒田清隆は、1871年に開拓手法を調査するためアメリカを視察しました。

「小さな家」と日本の女子教育

黒田清隆が視察の中で特に感銘を受けたのは、小さな家に住む明るくいきいきとした女性やローラのような子供たちの姿でした。

そこで日本初の女子留学生を募りアメリカで勉強させようと考えたのです。応募してきたのは、のちに津田塾大学である女子英學塾を創立した津田梅子や、元老大山巌の夫人となり「鹿鳴館の花」と称され日本初の看護婦学校を創設した山川捨松など、8歳から15歳までの5人の娘たちでした。

屯田兵を守った木の家

さて、日本の北海道開拓はその後どうなったのでしょう。

黒田清隆は、北海道に屯田兵を入植させて開拓を推し進めようとしました。屯田兵というのは兵務のかたわら開拓にも従事する兵士のことをいいます。彼らは家族ぐるみで入植しました。

彼らには兵屋が与えられました。兵屋に使われる木材は現地調達が原則でしたが乾燥が充分でないため、すき間ができるおそれがあり本土から運んでくることもあったそうです。

一般的な間取りは、土間と囲炉裏を切った6畳の板の間、ほかに6畳間と4畳半間がありました。土間には流しがあり、勝手口のわきに厠、風呂は数家族でひとつを共同で使いました。

深い森の中、ぽっかりと開いた場所に同じ形の兵屋が数百軒も並んでいました。北海道にそんな兵村が37もありました。

屯田兵とその家族の暮らしは苦難の連続でした。どこまでも続く原始のままの密林地帯を最低限の農機具で切り拓いていきます。熊が襲ってくることもありました。

苦労して切り拓いた農地が川の氾濫で流されることもありました。そして長く厳しい冬の寒さです。病気や事故で命を失う者、逃亡する者が続出しました。

そんな中、彼らのいちばんの楽しみもアメリカの開拓民と同じでした。一日の厳しい労働を終えて兵屋に帰るとようやく家族水入らずになれます。囲炉裏を囲んで無垢の床板の上でなつかしい故郷の思い出を語り合ったそうです。木の家は、北海道でもアメリカでも家は家族を守るものでした。

囲炉裏

そんな家に守られながら、困難を耐え抜いた屯田兵とその家族が、日本の食料庫、酪農王国と称される豊かな北海道の礎を築いたのです。

今も、北海道やアメリカの天然林から伐りだされた木材は住居に使われます。ローラや屯田兵が暮らした家と同じ木を使った住居で、彼らと同じように家族と共に過ごしてみてはいかがでしょうか?

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北海道産の木材についてはこちらのブロブをご参照ください。

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